今日から文字をなんとなく小さくしてみようと思います。
どうもNAMIWAです☆
最近はninaと街中を徘徊している僕ですが、そろそろ展示会シーズンで、飛行機三昧になりそうです。
本当に今年は8月の海外の予定を9月に繰り上げて良かったと、最近つくづく実感し、ちょっと前の自分に感謝している今日この頃。
実は先週、祖母が87年の生涯に幕を閉じた。その前の週まで都内に居て、本来は他界する週にも都内等諸々のスケジュールが詰まっていた。息を引き取るには間に合わなかったものの、純粋に日にちを誤って都内に居れば、危うく葬式に遅刻する所だった。
うちは小さい頃から母親のみに育てられ、貧しいながらにも人並みの人生を歩かせて貰っていた。国営のぼろい住宅が今でも実家として北海道の札幌均衡にひっそりたたずんでいる。
そのせいか、祖母と祖父に接することが多く、祖父母としては勿論、父親の役目を果していてくれていたのだろう。
祖父は彫刻家であった為、私は手先が器用で図工は毎回5だった。今思えば、母親が絵を良く描くのと、祖父が彫刻家である中で育った為、気づかない内に近くに芸術みたいなモノが常に存在していたのだろう。
母親同様、祖母は「タフ」と言う言葉が信じられないくらい似合う人間であった。そのお陰で?今日までそしてこれからもこの業界で生きていくのだろう。
アパレル業界は憧れが強い職種。髪の毛、スタイルやTATTOOまでもお洒落として認められる。
その分、社会での位置づけは高くは無く、成功者はほんの一握り。
経験と言うものも他業種に移る際には余りにも頼りないもので、己の集中力とにおいを嗅ぎ分ける鼻が頼り。簡単に言えばセンスと情報量。
常にアンテナを立たせなくてはならない集中力と、その見返りも多いとは決して言えない。
中でも個性が強く嗅覚の優れた人間だけが残っていけるマーケットであると最近つくづく思う。
札幌にはそんな中今日まで老舗と言われ、死語ではあるがカリスマを掲げた先駆者達がごろごろ居る。1年半渋谷に住んだが、札幌も5大都市の一つではあるもの、地方には変わりない。
どう転んでも都心は東京を指すと言うのが現実だ。
そんな海を越えなくてはならない、情報の遠い中、己の観点で物を選び、己のマーケットで仕掛ける。雑誌に広告を打ってそのレスポンスを得ると言う事をデジタルと言うのであれば、非常にアナログな街であったと思う。
勿論大都市や海外への憧れは若者に限らず誰もが持つ。
しかし札幌発信、地元での成功を目指した多くの人たちの努力で今日、自分の展開するお店にまで繋がっているのだろう。
しかしWEBの普及が一気に進み、東京ブランドの熱は未だ冷めることは無いが、地方でもそのセレクトを発信する事が出来るようになったのだと思う。
簡単に言えば送料等のサービス料の違いのみで、Web ShopとはWebと言う自宅や職場のPCの中に存在して、いつでも札幌の商品を海外からでも見ることが出来る。
商品のみに対してボーダーラインの消滅。と言うのが適しているのだろうか。
足を使って買い物をすると言うと言うのは時間も要するし、体力も移動費も掛かる。ネットサーフィンは自宅に居ながらWebと言う足を使って買い物をする事で、一昔前のデジタル化として近い行為なのかも知れない。
Da-Ri(broom,nina)は言うまでも無いが札幌を拠点に活動している。
人口は180万人、老若男女その中で生活している。
Webの需要が増える中、Da-Riはbroom、ninaと実店舗を設け、スタッフと触れ合う時間を提供したい。それぞれのスタイルやセンス、プライベートの会話なども織り交ぜ会話を楽しんでもらいたい。
Da-Riの最大のセレクトは以前BLOGでも述べたのと変わり無くSTAFFである。
ninaに飲食空間を設けた最大の理由はお客様とスタッフとの触れ合いである。勿論、食事だけの方も居れば、酒を飲んで気持ちよく帰っていく人も居る。
セレクトを世界に発信したい、もっと多くの人にDa-Riを見てもらいたい。そんなWebの利点と、すばらしいスタッフの居る実店舗の利点を上手く生かし、Da-Riは更に一歩前に進んで行こうと思う。
都内駐在の生産管理、岡田ことCar-Kunも忘れずに笑
理想を抱きながらも、例え理想とは程遠くても、目の前の一つ一つを越えていかなくては行けない。止まってはいけないと言う現実を改めて実感した。
2年前に祖父が他界し、その三回忌を終え、祖母もその役目を終えたのかのように他界した。
じいちゃん、ばぁちゃんと呼べる親戚全滅。先週の出来事だった.....
文中のアパレルの内容など葬式に無かったが、振り返るとそう言われている様に感じたので、文章にこれを残しておこうと思う。
きっとこのうように思えたのは祖父母からの最後の言葉なのではないだろうか。